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何かに向かって行っているときにはそのお手本みたいな人が表れてくれる

自分の今までの人生、タイトルのようなことが多かったなと思います。

何かに挑戦したいときには挑戦させてくれる場をくれる人に出会えたり、これが欲しいって困ってるときには助けてもらったり。

感謝感謝です。

してもらいすぎてる気もする。

何でそんな運よくこれたのかって、自分の困っていることだったり、心配なことを何かしらにアウトプットしていたからだと思います。

選挙に参加させてもらったきっかけはブログ、安芸津に住むことになったのも先輩に相談、アルバイトもお願いをしていました。

「自分でつかみとった!」

ってことは一ミリもなくて助けてもらって今がある!って感じです。

だから常にアウトプットは大事。

ってことは全部人に聞いてなるほど~って思ったことなので、全部受け売りです(笑)

ただやっぱり最近そう思います。

そのおかげでどんどん先に進んでる。

このブログもやっていてその反応のおかげで僕が勉強させてもらってます。

コメントで足りないことを埋めていってもらえたり。

実際に記事の内容の話を対面でしてもらって、自分の意見を聞いてもらうきっかけをもらえたり。

ただよく、「こんなに誰かに依存したままでいいのか」

「自分で取り組む必要があるんじゃないか」

と思います。

この考えは今日、今の自分には間違ってると思いました。

人は一人じゃ生きていけないし、仕事なんて一人で完結するわけない。

相手がいての仕事だから、頼るところは頼って、自分も頼られたらいい。

熊谷晋一郎さんという方が言ってたけど、

「自立とは、依存先を増やすこと。」

そうすれば一人当たりに依存する割合は低くなる。

なるほど、今まで考えていたこととは真逆のような意見。

彼は車いす生活をしていて、東日本大震災のときにこのことに気付いたそう。

車いすのせいで5階のエレベーターが止まりとじこめられたそう。

他の健常者は、エレベーター、階段、はしご、という3つの頼る手段があるのに、熊谷さんはエレベーターだけ。

健常者は3つの依存先があるのに対し、熊谷さんは1つしかない。

つまり、健常者は何にも頼らず自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされているけど、

実は、健常者は色んなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていないということ。

依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できる。

それが「健常者である」ことなのだ、と。

実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、「自立」といわれる状態ということ。

だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

そう書いてありました。

「そんな考え方があったのか」

と、この記事に夢中に。

https://www.tokyo-jinken.or.jp/publication/tj_56_interview.html

県外で親元離れて一人暮らしをする良さは、親以外の依存先を開拓できるところ。ってとこにも共感。

色んな所で色んな人に依存しつつ、依存されるような、

そんな人生にしたいものです。

そのためにも最近多くなってきた新たな出会いは大事にしていきたいと思いました。